カンヌ広告祭のご報告

2011年7月16日

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ども、丸山です。

この場での報告が遅くなりましたが、先日「カンヌ国際広告祭」にて金賞を受賞しました!


当日の様子はこちら
http://www.facebook.com/video/video.php?v=2087946594465&comments

写真はこちら
http://photo.mixi.jp/change_cover.pl?album_id=500000026319879

ニュースに載った感じはこちら
http://techwave.jp/archives/51675844.html


会社にお願いしてカンヌに行かせて下さいとお願いしていたものの
まさかその場で受賞が決まるとは夢にも思っておらず、
受賞の連絡を聞いた瞬間に、鳥肌+フリーズ、そして軽いパニック状態。

どうしたら良いのかな、というのが正直な感想。

だって、小学校入ってから、
というか、生まれてこのかた賞状というものをもらったことが無いんです。

1位しかもらえない時には2位
3位までもらえるときは4位みたいな感じで、
壇上に上るという経験が無いままに生きて来たんです。


ちなみにカンヌ国際広告祭って言うのは
映画で言うカンヌ映画祭みたいなもので、
スポーツで言ったら毎年やってるオリンピックみたいなもの。

世界で一番、権威ある広告際です。


学生時代から飲んではカンヌカンヌ言っていたことは
学生時代の僕を知っていればわかるはず。

むかし書いた夢には、
30歳でカンヌのフィルム部門で受賞台に上る、って書いてありました。

今回上ったのはメディア部門、
新聞+テクノロジーで始めたIWATTEという企画で穫ることができました。

フィルムじゃないけど、あの舞台に上れたこと
今でも不思議でなりません。

写真とかを見て、やっぱり現実だったんだなーと思う感じです。


これ、準備している時に地震が起きて
応募自体取りやめになるかもしれなかった。

でも、カンヌ広告祭が行われる6月だったらきっと岩手も復活し始めているはず、
だからその時に世界から日本にいいニュースを届けたい、
募金くらいしかできない僕だけど、
仕事で何とかお世話になった第二の故郷にエールを送りたかった、これはホントです。

んで、地震の後にスタッフにもっかい気合いを入れたのでした。


ちなみに、今回の映像を一緒につくったが
大学の同級生の岩渕。

初めて世界の舞台に挑戦するなら、
信頼できるやつとやった方が良いかなと声をかけたものの、
いろんな事がありました、もうホントに。

友達と仕事するもんじゃないのかなと思ったりもしたけど、
お互い大人ぶっていたところをならして、もっかい向き合ってみると
やっぱり良い仕事になっていくんです。

スゴくなってんだなー、ホントに。
マジで岩渕がいなかったら穫れなかったと思います。
サンキュー名監督!


授賞式はとっても大きなホールでやるんです、
そこで自分の名前が呼ばれる、
日本の受賞者は日本語で読んでくれる粋な司会者でした。

目の前の壇上への階段を上る、
一歩あがるごとにいろんなことを思い出した。

今回の制作のことだけじゃなくて、
大学時代のことやIBCで働いていたときのこと、
岩手で過ごしたいろんな日々、

そして今の会社に来てからの多くのこと、


金色のライオンのトロフィーは持ってみると本当に重くて、
正直鉄アレイより重いと思う。

でもこの重さが良いなと思って。
世界一の舞台でもらうトロフィーだもん、軽かったらやだよ。
その辺りもちゃんと考えられてんのかな、何て想像したり。


壇上で振り返ると日本から一緒に来たメンバーが手を降ってくれている。
みんな笑顔だ、
学生じゃない、いいオッサンらがみんな笑顔だ。
こんな光景なかなか観れるもんじゃない、嬉しいよ。

日本からもたくさん電話ももらって、
電話越しで乾杯しているような話を聞くと、なんか本当に泣けてくる。

自分の仕事が手の届く範囲だけかもしれないけど
+に働いていることを実感できるのは幸せなことだ。
これは、きっと病みつきになる。

壇から下りる時に思った。


壇から降りてから思うのは、本当にみんなへの感謝。
これはお世辞ではなく本当に。
この仕事に関われたこと、最後まで諦めずに動いてくれたメンバー、協力してくれたみなさん。

そして岩手のみんな全員、


なんか今まで自分に関わってくれた人、みんなにサンキューベイベー!と言いたくなるのです。


みんな、


サンキューベイベー!



帰って来てからも恩恵を結構受けました。
みんなからお祝いのコトバを頂けて、ホントにエネルギーを頂けました。


そして壇上で思ったことがもう一つ、
これからが始まりなんだなってこと。


あそこにたって、帰って来て、次に何をするか
みんなの、そして自分の地震への期待に答えれるように頑張らないといけないんだな、と

思ったのでした。


だからこれからも頑張ります!


当たり前だけどさ。



もっともっと頑張って、
2匹目のライオンももって帰って来れるようにするさ



というわけで、みなさん、
これからもよろしくお願いします!



シャッ!

ストーリー

2011年5月29日

30にもなったし、今の会社も3年経ったし

このあとどうして行こうか考えることあるよねぇ

わかりやすい5月病と言われればそれまでですが。

プランニングをしてないと、
流れるままになることは仕事と一緒なわけで。


海外でも仕事したいし、
職場を転々と変えたいし、
車買いたいし、
バイク通勤したいし、
子供欲しいし、
犬飼いたいし、
仕事以外で本当にキモチを動かすことをしたいし、
かっこいいオヤジになりたいし、
旨いものにたくさん出会いたいし、
手の届く範囲の人は笑顔にしたいし、


などなど、
色々やりたいことがある、って思っていたけど、
実は書き出してみると数は多くない。

つまりやりたいことが少ない、
結局経験不足ってことですよ。

随分と狭い知見の中であーだこーだ悩んでるわけです。


そういうことにも改めて向き合ってみているこのごろです。
気を抜くと、時間だけがあっという間に過ぎていってしまいそうで。



人生1度、
んじゃ仕事辞めて旅でも行くか、
それは逃げかな、

こんなことみんな1回は考えるだろうけど、
べつにやっちゃったっていいんだよな


振り返ってみると、
自分が大きく前進したときは、細かく全部を考えた時より

よくわからんけど、楽しそうだから踏み出したときの方が多かったなと。


俺が、楽しく生きていくストーリー、
まだまだあると信じて。

1日遅れで、岩手です。

2011年4月 8日

震災から一ヶ月、両親の顔を見に来て、

家の事を手伝って、

父が、

「せっかくきたんだから、地震も味わってけ~」

と言ったのを笑っていた3時間後、、、
まさか震度6強に襲われるとは思いませんでした。


いつ来るかわからない不安、
今回のことは311とは違って、何とか立ち直ろうと思っていたときの一発は、つらい。

せっかく片付けた部屋もまた、ごちゃごちゃに。


今日は一日精一杯働きました。

ホントは会社のメールも見なければいかんかったんだけど、
正直無理でした。すんません、、、


命ある事に、感謝。
そう思う地震でした。


また、買い出しの途中に被災した海岸の地域を通る。


みた事のない風景、
むかし自転車をこいだ田んぼ道は、見渡す限り砂に埋まって、
松の木が転がっていた。

それでも道路はキレイに整理されていて、
一番ひどい時に比べたら、全然、良くなっているんだろう。


テレビから見る景色は、どこか非現実で
何となくふわついていたキモチ、現実感のなさ、きっとみんな思ってると思う。

だから、自分の目で見た事
心に刻んでおこうと思う。


これが現実で、実際に起きた事だということを、覚えておこう。


家について、両親にあって、


電話でもね、話してたんです。
物資も届くようになって、電気もきていて、ガスもきていて

普段ともう変わらないと何度も言うから、
じゃー、いかなくても大丈夫かなぁ、と思ってしまっていたけど、
やっぱりと思って来てみた。

確かに物資も電気もある、
でも心に刻まれている事がある、生活の中に不安が常にある。
新聞を見ると、いつもお米を買っていた農家の方の名前を志望者の欄に見つけたりする。

そういう状態って、きっと電話だけじゃ伝わっていないと思う。


被災地に実家のある人たち、
可能なら親に会いにいった方が良い、家が壊れてなくても、怪我をしてなくても、
まず会いにいけ。手を握れ。

それをせずに未来を語ることは決してできないだろうから。


昨日地震があった時、そばにいる事ができてよかった。




という感じで、ホントは今日岩手に移動だったけど、
明日にすることにしました。

こんな状態ではちょっと無理でした。


明日、行くことにするので、
現地のみんなまた会おう。

つくる展もいくからね、
ゼミナールも行くから。


少しずつしか無理な男なのかもしれんです。
30になって、思ったけど、

きっと出世もできんと思うのです。

大きな枠組みより、手の届く範囲の人にしか対応できないのかもしれんです。


また少しずつ、頑張っていかなきゃだ


あいつには負けられんからね

一歩前へ

2011年3月19日

2011年の三月は、ずっと忘れることができなくなった。
自分にとっても、日本にとっても。

震災が起きてからの一週間、
自分の家族、友人、そして友人の家族、
こんなにも人の事を思う事もなかったと思う。

こういうことが起きないと、それに気付けなかった事にも気付いた。

僕の家族が無事だった事、これが奇跡に近いこと時間が立つほどに感じる。
今まで普通と思っていた事は、平和とか平穏とかの上にやっぱりあったんだなと。

こんな時に広告は、全部外されて、
自分がしている仕事は、大変な時には必要とされないものだともわかって。

そんなとき、僕は30歳になりました。

自分ができること、したいこと、もっかい考えようと思います。
別に中二病ってワケじゃなくて、恵比寿で震災募金をした時に、今自分にできるのはこんな事だけなのかと感じて。

とはいえ、能天気なデザインを今出す気にもまったくならず、
もやもやとしてしまいます。

むかし石岡栄子に聞いた、
「血がデザインできるか」、「命がデザインできるか」ということを思い出した。

すべての人間活動は、人を幸福にするために存在する、
仕事だけじゃなく、会話とか、飲み会も、

それを思い直して、また一つ前へ進んでいこうと思います。

僕たちは後ろには戻れない、
もし一人で前に進めない時は、誰かに引っ張ってもらうしかない。

辛い時に思い出してもらえるような、
そしてその時は期待に応えられるような、そんな男になるので。

みんな仲良くしようぜ、
これからもよろしく。

音楽は大事よね

2010年10月22日

30までは大学時代の貯金でなんとかなる。

この前職場の先輩に言われました。
たしかになぁー、キャラとかで乗り切れるのって30までかもしれない。

新しい刺激を入れんとな
良いインプットがなきゃ良いアウトプットは作れん、

ということで、

とりあえずできそうなところから。

毎週音楽のアルバムを買う事にしてみました。
知ってる人は知ってるけど、俺って全然音楽を聴かない人なのね

たまに好きな曲を見つけたら、
それを飽きるまで無限ループし続ける。
それも1日や二日じゃなく、半年くらい無限ループ。

でも、それじゃイカンよなと。

というわけで、今週はカプセルを頂きました。

中田ヤスタカちょっくら分析してみますw  

余裕は大事さ

2010年10月21日

昨日は久々の21時台帰り。
んで、今日はかなり久々の19時台帰り 。

DVDを借りて、帰りに用事を済ませて、
一駅前で下りて家まで歩いて帰って来ても、まだ21時半というこの素晴らしさ。

さ、久々にいろんな妄想でもしようかな。

忙しい日々に忙殺されるのは充実感とも思えるけど、
これからをさらに充実させるためには、ヒマな時間がなきゃね。

映画見たり、本読んだり、奥さんと話したり。

余裕は大事

これは全くその通りなのだった。  

さて、今日は久々にDVDの五本借り。
アメリ、ミリオンダラーベイビー、ノーカントリー、SAYURI、沈まぬ太陽、

密かな自分の目標、「アカデミー賞受賞作は全部見る!」  を達成すべく、
がんばりますわ。

あー、夜に時間があるって素敵すぎるぜ

またすこしづつ

2010年10月20日

久しぶりにこの場所を更新。

バタバタと日々が過ぎて、バタバタしていられる事に安心していながらも
どこかでは、そろそろなー、と思う今日のゴロ

なにが、そろそろなのか、
それを考える今日この頃。

きっとみんな考えている事は一緒なようで、
きっとみんな、そろそろ、と思っているんでしょう。

そろそろが、やばいやばいになり、あちゃー、にならないように。

放っておいても、人生は進むしね

昨日より今日、そう思って明日も目を覚ますようにしよう、
今年が最後だと思って、過ごしてみよう。

何より大事な事は
どんなことでも自分が思った事を忘れないようにしてみよう。

すぐ忘れてしまうから。

それで成長していると思っているんだから、
まったく、俺にも参ったもんだぜ

バタバタと日は過ぎ

2010年6月27日

日記を随分書いてないですね、
最近は仕事でもプライベートでも、まさに「バタバタ」な日々。

お仕事の方はと言うと、
カンヌはダメだったようで、昨年の仕事は社内評価に留まりました。

もともとグラフィックデザイナーとして頑張っていたつもりが、
いつの間にかウェブデザイナーになり、
そしてインターフェイスデザイナーとなり、

最近は、アプリ開発やサービス開発が主なワークになって来ています。

ドンドン狭い領域の人間になって来ているのを実感しつつ
まー、ココ何年かはしょうがないかなと半ば諦め気味です。


プライベートの方はと言うと、
8月の式に向けて日々準備準備。。。

結婚式って大変です、いろーんな事を決めないとイカン。

衣装はもちろん、テーブルクロスにBGM、それが面白いのかもしれないけど、
仕事しながらその事を考えるのは結構しんどいのが正直なとこかなぁ、

週末に打ち合わせにいって、その場で考えるのが定番になって来てます。


今年は東京に来て三年目、
仕事以外にも何かしらイベントをやってみたいと思い始めて来たけれど、
結婚式がそれになりそうです。


参加してくれる皆様、どうぞおよろしくw

そんなわけで平日は仕事で、休日はプライベートで、
文字通りバタバタと過ごしておりますが、あいかわらず元気です!

少しは風邪でも引いて休みたいところだけど、
何とかは風邪何かは引かないようでね


みんなは元気にしてるかな?


夏になって来たし、
日々うちらは年とっていくし、
たまには懐かしいみんなと酒でも飲みたくなるね

またおっきく飲み会でもやろうかなぁ


どこぞでは夏フェスなんかをそろそろやり始めるみたいだし、
飲みフェスなんてのも良いかもね


もちろん、3DAYS開催で。

オー、飲みフェス、なんか楽しそうな言葉だなぁこれ。


面白そう。


劇団ゼミナール|四つ葉のクローバー

2010年3月18日

劇団ゼミナールの新作舞台「四つ葉のクローバー」の宣伝美術を担当しました。 
cledit:
client: 劇団ゼミナール

creative direction /planning / 斉藤秀樹 + 丸山安曇

art direction / design / 丸山安曇

前略、ぴーすけ様

2010年2月28日

家を出てから、あんまり会わなくなりました。
でもあなたの事は、ねーちゃんから、かーちゃんから、とーちゃんから聞いてましたよ。

新しく張り替えた網戸で爪研ぎをして怒られた事、
近所のオトコにやたらとモテてた事、
最近は高級食材じゃなきゃ食べなくなった事(とーちゃんが贅沢だって言ってました。)

まーでも、
人間に換算したらうちの家族の中では一番の年上になっちゃったわけで
それもしょうがないかなと、僕は思うですよ。


もー結構前、平成2、3年頃だったかね?
今でも覚えています。

クーラーの無い丸山家は、夏に玄関も出窓も全部開けて
家族みんなで昼寝してたねぇ

とーちゃんもかーちゃんも、妹も、ねーちゃんも、あと俺も。(にーちゃんはいたかなぁ、、、)


最初に鳴き声が聞こえたとき、夢か?と思ったんだよ、
だって丸山家の家の中で動物の鳴き声が聞こえた事なんて無かったんだから

手のひらに乗りそうなあなたを捨てに行こうとしたとーちゃんを、ねーちゃんと妹が必死で止めて
うちに家族が一人増えたんだったねぇ


まー、いろいろあった

せっかく家の中で飼おうって言ったのに、
早速とーちゃんのシャツの上でウンコするもんだから、、、
あっという間に外に逆戻りしたり、

そうそう、
モテまくりだったあなたを目当てに、近所のオトコどもが寄って来て
追っ払おうと思って走ったら、思いっきりこけてお気に入りのパンツ破いたね、俺


庭に置いてあった水瓶の中で寝てて、
最近太ったなーと思ってふたを開けたら、いきなり5人に分裂してて、あん時はびっくりしたよなぁ

俺が大学を出たくらいから、
おばーちゃんになって来たのか、元気がなくなって来たって心配してたけど、

たまに窓の外に、ネズミやら雀やら捕まえて来ては置いて行って
元気じゃんと思ってたですよ

今日の朝メールを見て、
いろいろと思い出しました。


うちで過ごした18年?19年?は楽しかったかなぁ
うちは、ぴーすけのおかげて、とてもとても楽しかったです。

子猫だった時のあなたの声を聞いて

「ピーピーなくからぴーすけでいい」

と安易に名前を決めてしまってごめんよ、


今日からさみしくなるなぁ


家のどこかに写真を飾っておくね


どこから来たのか、なんで来たのかわからなかったけど
あの日いきなり家の中に現れてくれてありがとう。

楽しい楽しい時間をサンクスでした、


ぴーすけさん、安らかに。


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