前略、ぴーすけ様

2010年2月28日

家を出てから、あんまり会わなくなりました。
でもあなたの事は、ねーちゃんから、かーちゃんから、とーちゃんから聞いてましたよ。

新しく張り替えた網戸で爪研ぎをして怒られた事、
近所のオトコにやたらとモテてた事、
最近は高級食材じゃなきゃ食べなくなった事(とーちゃんが贅沢だって言ってました。)

まーでも、
人間に換算したらうちの家族の中では一番の年上になっちゃったわけで
それもしょうがないかなと、僕は思うですよ。


もー結構前、平成2、3年頃だったかね?
今でも覚えています。

クーラーの無い丸山家は、夏に玄関も出窓も全部開けて
家族みんなで昼寝してたねぇ

とーちゃんもかーちゃんも、妹も、ねーちゃんも、あと俺も。(にーちゃんはいたかなぁ、、、)


最初に鳴き声が聞こえたとき、夢か?と思ったんだよ、
だって丸山家の家の中で動物の鳴き声が聞こえた事なんて無かったんだから

手のひらに乗りそうなあなたを捨てに行こうとしたとーちゃんを、ねーちゃんと妹が必死で止めて
うちに家族が一人増えたんだったねぇ


まー、いろいろあった

せっかく家の中で飼おうって言ったのに、
早速とーちゃんのシャツの上でウンコするもんだから、、、
あっという間に外に逆戻りしたり、

そうそう、
モテまくりだったあなたを目当てに、近所のオトコどもが寄って来て
追っ払おうと思って走ったら、思いっきりこけてお気に入りのパンツ破いたね、俺


庭に置いてあった水瓶の中で寝てて、
最近太ったなーと思ってふたを開けたら、いきなり5人に分裂してて、あん時はびっくりしたよなぁ

俺が大学を出たくらいから、
おばーちゃんになって来たのか、元気がなくなって来たって心配してたけど、

たまに窓の外に、ネズミやら雀やら捕まえて来ては置いて行って
元気じゃんと思ってたですよ

今日の朝メールを見て、
いろいろと思い出しました。


うちで過ごした18年?19年?は楽しかったかなぁ
うちは、ぴーすけのおかげて、とてもとても楽しかったです。

子猫だった時のあなたの声を聞いて

「ピーピーなくからぴーすけでいい」

と安易に名前を決めてしまってごめんよ、


今日からさみしくなるなぁ


家のどこかに写真を飾っておくね


どこから来たのか、なんで来たのかわからなかったけど
あの日いきなり家の中に現れてくれてありがとう。

楽しい楽しい時間をサンクスでした、


ぴーすけさん、安らかに。


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手紙

2009年10月16日

かーちゃんから手紙が来た。

実家からの荷物には大体手紙が入ってる。
短い時もあれば、長い時もある。

今日は5枚も入ってた。


書いてあるのは和紙の便せん、
持ってみると、紙の繊維が手でわかる。

字は青い万年筆で書いてあった。


語り口はいつも通り口語、
僕の事をあずみくんと呼び、用件を書き、日常のヒトネタを入れる。

大体効果音なんかも括弧書きで書いてある。

中々に可愛い手紙だ。


今回送ってもらった戸籍謄本、その事が書いてある。
戸籍謄本なんて,あんまり見る書類ではないが中身は至ってシンプルだ。

我が家の家族構成が書いてある。
一人に一覧ずつある。

父と母の覧には、
それぞれが両親から生まれた事が書いてある。

僕たち子供の覧には、生まれた事しか書いてない。

ただ、一行書いてあるだけだ。

かーちゃんはそれを見て、何も書いていない事はいいことだ、と思ったらしい。

自分たちと一緒に暮らした18年、
その後家を出て10年、

いろんな人生を過ごして来て、今の俺がある。
でもまだ何事もなく元気だ。

それが嬉しかったらしい。


何となくわかる、でもわからん親の感情だね


手紙は良いもんだ、
手紙を書かなきゃイカンなぁと思ってる相手が、今4,5人はいる。

書こうと思えばすぐ書ける。

でもつい先延ばしになる。


かーちゃんも俺から手紙が来たらウケるんだろうなぁ
書いてしまってみようか、ふと思ってみた。

電話で話せばいーよーな事を、ダラダラ手紙に書いてみる。


でもたぶんそれだけできっと価値が出る。
かーちゃんにしかわからん価値がきっと。


その価値を物理的に持っている事、平たく言えば沢山の手紙を持ってる事
それはその人に取ってプライスレスな価値になるよなぁ


デジタルが進化して、便利になって、僕のパソコンはクラッシュして
2年分のデジカメデータがさようならして

思った。


情報は、どんどんデジタル化していい。
でも
思いはデジタル化より、物理かの方がきっとまだヒトには合ってる。

てか,僕には合ってる。


変化のまっただ中な仕事してるくせに、ダメなやつです。


しかししょーがない。


そー出来てんだから、僕は。


手紙、書いてみようかな。


そろそろ年賀状の時期だし、、、
あ、年賀状と手紙は意味が違うかw

やれやれだぜ

ひさしぶりに

2009年9月28日

銀座のギャラリーに展示会を見に行く


13 FRAMES
http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_200909/g8_exh_200909.html

次の世代を背負う人たちが、自分の年に近くなって来た。


オープニングパーティーで名刺交換、
悪くない気分だけど、
名刺を差し出される側へのあこがれも,まだ自分にはある。


でも、そう言う人たちと一緒に仕事をする、
その依頼側にいる今の立場もそれはそれで悪くない。


あと2年で30になる、
会社名で名乗らなくてもいいようになる、それが最初の目標。

まずはそこからだね


さよなら

2008年10月 8日

会社のパソコンにはいっつもイヤホンが接続されている。
でもおいらは、イヤホンしないで仕事してることの方が多い。


んでも、夜になってくると
テンションをあげないといけないから、イヤホン付けて、音楽かけながら作業する。


さっき、ふとイヤホンを付けてみると
いつの間にかiTunesが起動していたようで、いきなり音楽が聞こえてきた。


聞こえてきたのは


小田和正の、「さよなら」。


ふ、いきなりセンチメンタルにさせてくれるぜ。



さよなら、さよなら、さよなら
もうすぐ外は白い冬

愛したのはたしかに君だけ
そのままの君だけ

泣けるぜ

一つ一つのこと

2008年10月 6日

大きな山場が9月末にあって、その後はその余韻を10月に処理している感じ。

でも仕事的には今の方がより密度が濃くなってきている。

時間が経つごとに、そう、うれしいことです。

遠くでがんばっている人の噂を聞く、うれしいことだ。

そしてちょっと複雑なことだ。

がんばっている人を応援しながら、自分自身にも且つを入れる。

負けてる場合じゃないぞと。

俺の今やってること、

無カー師からの友達が見れば、何やってんだ、それがお前のやりたいことか?

と言われるかもしれない。

でも、楽しくやってます。

僕の重い描いていた東京生活と、ちょっと違う方向性は見えてきたけど

ものを作って伝えていく、そこには違いは無いさ。

きっとね

もう10月か、がんばるぞー

好きな人が、亡くなりました。

2008年9月22日
nagi_noda.jpg

野田凪が死んだ、
この前その知らせを知った時、正直動揺した。

野田凪は今の日本で自分が好きなディレクターの一人で
いつか、一緒に仕事をすることが出来たら

そう思っていた人だ。


そもそも、僕が広告をやりたいと思う気持ちを後押したのは彼女のNIKEキャンペーンのグラフィックだったし、
昨年コカコーラの世界キャンペーンのディレクターに抜擢されたのも嬉しかった。


彼女は僕の思うアートディレクターそのものだったのかもしれない。


自由で、わがままで、自分自身もオシャレが好きで

カッコ悪い人にはカッコいいものはつくれない。
そんなことを思わせてくれる人だった。

34歳で亡くなった彼女は
死の間際マーク・ライデンのドレス、シャネルのブーツ、完璧なメークで、友人みとられて逝ったらしい。


最後まで美しくあろうとするその姿勢も、感服したよ。

でもただ悲しい、
この気持ちを忘れないように、日記に書いておきます。

野田凪、ありがとう。

安らかに。

さいごに彼女の作品の中でも好きなPVを一本。

また会いましょう

2008年4月 9日

昨日で盛岡からいなくなりました。


思い返せば9年前、大学に受かっちゃった僕は
仙台より北に移住することに抵抗を覚えながらやってきたわけで。

高校からの友達は一人もいなかったし
誰も知り合いのいない状態で盛岡に来たのでした、

でも今振り返ると、
散々すき放題やってきた、やらしてくれた街です、盛岡は。


オーケストラでコンサートに6年間も出た。
写真部で自分より大きな写真作った。
地元の商店街と一緒におっきなイベントやった。
お馬鹿な仲間と映画祭を立ち上げて5年間続けた。
おっきなオムニバス映画のプロジェクトにも、写真と監督で参加した。
個展3回やった。
自主制作映画は、もう何本作ったか覚えてない
演劇で役者やった。
演出もやった。
テレビ局で働いた、番組作った、自分でも出た。
飲んで騒いでガラス割った、土手から落ちた、電柱登った。
写真集も作った、絵本も作った。
知り合いの店の壁塗った、棚も作った、でもすぐに撤去された(笑。
ダンスも踊った。
クラブでVJした。
いろんな人に教わった、いろんな奴に教えた。
胴上げ何回もした、確か一回くらいはされた。
教育実習も行った、教え子が美術の道に進んでしまった
たくさんの人を好きになった、そしてたまに惚れた。

なんかもー
よくわからんですよ。


この気持ちは。
今は落ち着いてるけど、てか移住が決まってからもぜんぜん寂しくなかったんだけど

だから送別会とかで寂しがられても、あらあら、くらいにしか思ってなかったけど


だって、また会えるし。
そう思ってたけど。

おととい、引越しの荷物をダンボールにつめて、運び出すとき。
あいているダンボールをガムテープで閉めていたら

なんか寂しくなったよ

いろんなものが詰まってるダンボールのふたを閉めると、
なんかいろんな思いもしまっていくみたいで。

淡々と運び出すヤマト引越しセンターのおじさんが
なんとも恨めしかったね

盛岡最後の夜はなーんにもなくなっただだっ広い部屋の床で
一人で寝てみました。


ここに住んでたんだなー
なんて思いつつ。

そんな夜に限って満天の星空ってわけじゃなかったけど
誰かが残していった飲みかけのワインをぐびっと飲んで、ストーブつけっぱで寝ました。


夜中三時くらいに後悔しました(笑

高校生のときの俺
岩手に来る前の俺が今の俺を見たらどう思うのかな


あのころの未来に自分は立っているのかな(夜空ノムコウ)


それはまだわからんけど、
岩手に来たことは、盛岡で過ごしたことは自分にとって良いことだったと思います。


みんな、ありがとね
サンクス、シェシェ、ウオアイニー。

ちょっくら今日からは東京で過ごしてみますわ
きっとすぐシュンとしてしまう気もするけど

まーそんな気持ちも楽しみつつ、もちっと頑張ってみようと思います。


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離れていてもつながりあうことはできる。
実際にはできないのかもしれないけど、そう思うことのほうが俺は好き。


また会いましょう、そうすれば会えるさ

みなさん、また会いましょう
その日を楽しみにしてるからさ。


というわけで、俺の東京生活スタートですわ!

35年後のスピーチ、自分用

2008年3月26日

今日は親父殿の離任式。
リズムで買ったスーツと靴、そんな最強装備に身を包み、バッチリ出席してました。

親父殿の最後のスピーチ。
忘れたくないので、書いておきます。

これは全く自分用、人に見せるようではありません。
だけどこんな先生が仙台にはいたのでした。


色白で、背が高く、ちょっと気さくな先生が
35年目の最後の日、体育館の真ん中の、立派なテーブルの前で話した
短い短いスピーチの記録。


忘れないように書いておきます。

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おはようございます。
私は昭和61年、そう君たちが生まれる前に教員になりました。

そして今から22年前、この仙台工業高校に赴任してきました。


その時は、この体育館も隣の実習棟も校舎もありませんでした。
私の教員生活で一番思い出深いのは、今私たちがいる新校舎の建設に電気科一同一丸となって取り組んだことです。

その時、新しく実習棟を作ることになった時、
私たちは


「日本一の実習棟を作ろう」


そう言って日々図面を引きいていました。
そして出来たあの実習棟は非常に高い評価を受け、今でも私は日本一の校舎だと思っています。

生徒の皆さん、安心して下さい
そして誇りを持って下さい。

あなた達が学んでいる校舎はすばらしい校舎です。

二年生の皆さん、といっても私が教えたのは1組と2組だけですが
私は最後の一年、あなた達の電気基礎の授業を持つことが出来てとても楽しかったです。

そして、私はこの一年一生懸命私の持っている電気の知識を伝えてきました。
あなた達に授業をするたびに、これが最後なんだ、これで終わりなんだと感じながら一時間一時間誠心誠意授業をしてきました。

あなた達に電気の基礎を教えていることがとても楽しく、幸せでした。

また、私は今年度は囲碁クラブの顧問を務めていたのですが
なんと囲碁クラブは総勢90名以上の部員がいます。

ですが実際来ていたのは20名程度です。
しかし彼らは非常に真面目に活動に取り組んでいて私自身とても楽しんで過ごすことが出来ました、ありがとう。

来年度は是非部への昇格を考えても良いと思います。


そして最後に教職員の皆様、
長い間ありがとうございました。

私がこの学校に勤務して22年、いろいろとお世話になる場面で私を支えてくれた皆さんに感謝しています。

ありががとう。


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うーん、朝一に聞いたことを頑張って思い出しながら書き留めてみたけど・・・
細かいところを覚えていない・・・


くそう。


でも、振り返った時に

「日本一を目指した」とか
「授業を誠心誠意、自分のすべてを伝える為に行った」とかが出てきたとき

ちょっと目頭が熱くなったかな

先生は部活の顧問の前に先生だ。
授業を教えてるんだ。


うちの親父殿は、幸か不幸か一生教壇に立つ人生だった。


でもその中でも、
誠心誠意、自分の知識のすべてを伝えるため、ということを忘れないまま教壇に立っていた親父殿を
俺は尊敬することにするのです。

自分達が20年前に作った「日本一の校舎」
その体育館の中で、「最後の年まで誠実に教壇に立った男」がいなくなる


きっと今日は宴会だろう。


なにせ勤続20年超えの長老がいなくなるんだ。


先人は敬わなきゃイカン
先人となる人はいい背中を見せんとイカン。


親父殿、グッジョブだったぜ

親父殿

2008年3月25日

今日、実は仙台に帰ってきてるんだ
明日で親父殿が退職になる。

教師生活35年、子供四人を全員大学に送り出し、
さらにそのうち二人は大学院まで送り出したツワモノ。


それが俺の親父殿。
名をシゲノリという。

俺は基本的に家族大好き人間だから、親父殿に感謝もしつつ
明日開催される「離任式」に出席するために有休を使ったのでした(すんません)

久々の実家、いつもどおり玄関まで出てくるオカン
コタツ出迎える親父殿。


つい3日前は盛岡に舞台を見に来たから
ぜんぜん久しぶりじゃない。


そしてマイ姉も一緒。

家族6人のうち、4人が集った。
親父殿の最後の出勤日の前夜なのでした。

ふと脇を見ると、新聞が落ちている。
もしかして・・・、と思ってみてみると、今日はそう、この日なんだ。


先生の移動って新聞に載るんです。
退職も、転任も全部載る。
新聞見開きじゃ足りないくらい載る。


でもコレは我が家にとっては実はあまりいいアイテムじゃなかった。

40代にちょっと病気をした親父殿。
同年代では珍しく大学院まで出ているインテリさんなのに
入院しているうちに出世コースから外れてしまったようで。


三月に自分の名前が載ってない新聞を見るたびに、ちょっと憂鬱な空気が流れていたんだ
そう、特にここ10年くらいは。

息子の目から見なくてもきっとデキル男の親父殿。
あんたを出世させなかった教育委員会、ちょっと見る目がなかったね


だから今まではあんまりちゃんと見てなかった新聞、
今日はそこに親父殿の名前が載っている。

ちゃんと蛍光ペンで線も引いてありました。

しかも後で聞いたらこの新聞
いつも取ってるやつじゃないそうで、朝起きて一番に買ってきたんだって。


どんな気持ちだったのかなぁ、親父殿。

そして、さらにページをめくるとそこには姉の名前も。
家庭科の先生デビューして三年の姉様。


来月からは新しい学校に転任。


親父殿は退職
姉様は転任

きっとこの新聞、永久保存版になるのかなぁ
そんなことを思ってパチリと収めたわけで。

明日は離任式
なんか自分の親が教師じゃなくなる、っていうのはなんか不思議な気分です。
毎日学校に行ってて、行ってた親父殿。


とてつもない数の生徒を送り出してきた。


色んな生徒がいたんだよ、そういってた
色んな部活の顧問もしてた。


水泳部の顧問してるとき、確か妹と一緒に連れてかれて高校生に混じって泳いだ。
そんなこともあった。

うちのオカンが、「むかし、多分17年位前に野球部に桜井君て言うエースがいてね」なんていうと、


「太田だ」


とすぐさま訂正したり。
ちゃんと覚えてんだぁ、ちゃんと生徒のこと覚えてんだ


年とってからはめっきり囲碁部に収まったみたいだけど
最近は角が取れてきて、人気もそれなりにあったみたい。

そんな親父殿の最後の授業
それが先日あったらしい。


そのときの写真を後輩の先生が撮ってくれたみたいで、引き伸ばした物を親父殿が持ってきた。

30人くらいの生徒、しかも男ばっか、に囲まれて真ん中でスマイルの親父殿。

いいね、いい顔してるぜ!
こういう笑顔をできる60歳になれるのって先生の特権なのかもしれない。

一緒に成長して、育てて、笑って。

そういうのが積み重なってきた先生の顔、そんな顔だったかな


明日は俺も出席します。
しっかり見届けてきてやるさ、


サンキューマイ親父殿、愛してるぜ

笑って会おうぜ

2008年3月17日

笑って会いたい人がいる。
誰かって?

今これを読んでるお前だよ!
俺が出会って来たみんな、俺の大好きな奴らさ


ん?
最近笑ってないって?


だったら笑いに来てくれよ
今週ゼミナールの舞台がやって来るよ〜


今回はなんと!
僕も脚本を書いています!!
ちょっと前に書いてた、「久しぶりの人生初のこと」それが脚本の執筆なのでした。

今まで映画の脚本(のようなもの)は、自主制作映画の数分は書いて来たけど、
今回は舞台です!

これは自分にとってもいい経験でしたわ
しかもコントだし。


いやー、楽しんでもらえるのかカナーリ不安・・・
でも、やってるこっちは相当楽しいから、その姿だけでも楽しんでもらえればと思っとります!

みんな、是非見に来てね!


ゼミナールコント マニアックシリーズ
『裏 THE BEST OF BEST』 作・演出 斎藤英樹


場所:アートサポートセンター風のスタジオ
日時:
3月20日(木) ①14:00〜 ②19:30〜
  21日(金) ③19:30〜
  22日(土) ④14:00〜 ⑤19:30〜
  23日(日) ⑥14:00〜 ⑦18:00〜  
(※ 開場は開演の30分前)

一般前売    1200円 当日1500円
高校生以下前売 800円 当日1000円

連絡くれれば前売り確保します!

会場で、待ってるよ☆