35年後のスピーチ、自分用

今日は親父殿の離任式。
リズムで買ったスーツと靴、そんな最強装備に身を包み、バッチリ出席してました。

親父殿の最後のスピーチ。
忘れたくないので、書いておきます。

これは全く自分用、人に見せるようではありません。
だけどこんな先生が仙台にはいたのでした。


色白で、背が高く、ちょっと気さくな先生が
35年目の最後の日、体育館の真ん中の、立派なテーブルの前で話した
短い短いスピーチの記録。


忘れないように書いておきます。

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おはようございます。
私は昭和61年、そう君たちが生まれる前に教員になりました。

そして今から22年前、この仙台工業高校に赴任してきました。


その時は、この体育館も隣の実習棟も校舎もありませんでした。
私の教員生活で一番思い出深いのは、今私たちがいる新校舎の建設に電気科一同一丸となって取り組んだことです。

その時、新しく実習棟を作ることになった時、
私たちは


「日本一の実習棟を作ろう」


そう言って日々図面を引きいていました。
そして出来たあの実習棟は非常に高い評価を受け、今でも私は日本一の校舎だと思っています。

生徒の皆さん、安心して下さい
そして誇りを持って下さい。

あなた達が学んでいる校舎はすばらしい校舎です。

二年生の皆さん、といっても私が教えたのは1組と2組だけですが
私は最後の一年、あなた達の電気基礎の授業を持つことが出来てとても楽しかったです。

そして、私はこの一年一生懸命私の持っている電気の知識を伝えてきました。
あなた達に授業をするたびに、これが最後なんだ、これで終わりなんだと感じながら一時間一時間誠心誠意授業をしてきました。

あなた達に電気の基礎を教えていることがとても楽しく、幸せでした。

また、私は今年度は囲碁クラブの顧問を務めていたのですが
なんと囲碁クラブは総勢90名以上の部員がいます。

ですが実際来ていたのは20名程度です。
しかし彼らは非常に真面目に活動に取り組んでいて私自身とても楽しんで過ごすことが出来ました、ありがとう。

来年度は是非部への昇格を考えても良いと思います。


そして最後に教職員の皆様、
長い間ありがとうございました。

私がこの学校に勤務して22年、いろいろとお世話になる場面で私を支えてくれた皆さんに感謝しています。

ありががとう。


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うーん、朝一に聞いたことを頑張って思い出しながら書き留めてみたけど・・・
細かいところを覚えていない・・・


くそう。


でも、振り返った時に

「日本一を目指した」とか
「授業を誠心誠意、自分のすべてを伝える為に行った」とかが出てきたとき

ちょっと目頭が熱くなったかな

先生は部活の顧問の前に先生だ。
授業を教えてるんだ。


うちの親父殿は、幸か不幸か一生教壇に立つ人生だった。


でもその中でも、
誠心誠意、自分の知識のすべてを伝えるため、ということを忘れないまま教壇に立っていた親父殿を
俺は尊敬することにするのです。

自分達が20年前に作った「日本一の校舎」
その体育館の中で、「最後の年まで誠実に教壇に立った男」がいなくなる


きっと今日は宴会だろう。


なにせ勤続20年超えの長老がいなくなるんだ。


先人は敬わなきゃイカン
先人となる人はいい背中を見せんとイカン。


親父殿、グッジョブだったぜ

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